活動報告

石井登志郎・西宮市長インタビュー⒁★181228――市民との交流を活発に

投稿日 2018年12月28日

私は9月20日、西宮市役所で石井登志郎市長にインタビューをしました。その詳報をこのブログで25回にわたって連載します。毎週火曜日と金曜日に掲載します。

石井市政と今村市政の違いをどのように考えていますか。今村岳司・前市長の時代に失われた市民、県と近隣市、報道機関などとの信頼関係をどのように回復する考えですか。

石井市長 「これに関しては自然体です。自然にやっていけば、いいことだと思います。もっと言えば、私は今村市政がどうだったかについては外から見ただけですから、どれだけ信頼が失われたかはわかりません。もちろん、各方面に聞いていますが、私は必ずしも今村市長が四面楚歌だったとは思っていません。〝三面楚歌〟ぐらいでしょう」

かんの 「〝三面楚歌〟ですか。どの三面が〝楚歌〟だったとお考えですか」

石井市長 「議会や報道機関は〝楚歌〟だったかもしれません。一部の市民や庁内の一部も〝楚歌〟だったかもしれませんが、全部の市民、庁内の全部が〝楚歌〟だったわけではないと思います。ただ、私は今村さんとの違いがどうということより、別の言い方をすれば、空気を感じたいので、地区の運動会や老人会にも行くし、市民とも直接、触れ合うのも大切だし、子どもを連れてアクタ西宮をうろちょろします。近隣の自治体の市長とも普通に会話しますし、マスコミとも良好な関係を築いていきたいと思っています。自然にしていけば、信頼関係が積みあがっていくのではないかと思います」

かんの 「市民とはどのように交流する考えですか」

石井市長 「市民と触れ合うあらゆる機会に出ていきます。地区の夏祭りにもできる限り行きました。普通に市民に触れ合う機会にふらっと行きます。審議会などでも市民代表ですから、できる限り出席したいと考えています。エリアや領域に関係なく、時間と機会があれば、可能な限り全部、顔を出して、コミュニケーションをしていく考えです。無料通信アプリ『LINE(ライン)』で『市長からの手紙』というアカウントをつくって、市民の声を聴ける仕組みにしようと思っています。こうした中で市民との交流を積み重ねていければと考えています」

※⒈四面楚歌とは 中国の歴史書「史記」によると、楚の項羽が漢の劉邦に敗れて、垓下(がいか)で包囲されたとき、夜更けに四面の漢軍が盛んに楚の歌をうたうのを聞き、楚の民がすでに漢に降伏したと思い、絶望したという。この故事から、周囲が皆、敵や反対者で、まったく孤立して、助けや味方がいない状態を意味する。

石井登志郎・西宮市長
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